特注タイル 施工事例紹介 Case 7 旧久米家住宅洋館 2024. 05. 16

Profile: 長井 淳一

前橋生れ、群馬県を拠点に歴史的建造物の調査・保存活用設計に携わる。
1988年 アルキーフ/長井淳一建築アトリエ
2006年 特定非営利活動法人景観建築研究機構 設立 副理事長

  国指定 臨江閣別館(前橋市)
  国登録 旧土岐家住宅洋館・旧日本基督教団沼田教会紀念会堂(沼田市)
  県指定 神保家住宅主屋及び書院(中之条町)
  市指定 旧関根家住宅(前橋市)
  村指定 鎌原の郷倉(嬬恋村)
  国史跡 荒船風穴蚕種貯蔵所・春秋館跡(下仁田町)
  国史跡・名勝 横山大観旧宅及び庭園(東京都台東区)

Profile: 長井 淳一

土木技術者・実業家で、衆院議員も務めた久米民之助が暮らした代々木上原の洋館「久米邸」を、彼の出身地である群馬県沼田市に移築する計画が発表されたのは2020年10月のことです。2024年4月6日(土)、復原移築事業が完了し、群馬県沼田市に「旧久米家住宅洋館」として一般公開がスタートしました。
LIXILおよびダイナワンは、復原にあたり、外観タイルの調査、復原に関してお手伝いをさせていただいています。
今回は解体調査・設計監理を担当した長井淳一氏に、復原移築作業のこと、「旧久米家住宅洋館」の見どころや外観タイルについて、お話を伺いました。

沼田市名誉市民・久米民之助邸洋館の保存移築計画が始動

群馬県沼田市出身で沼田市名誉市民でもある久米民之助氏(1861~1931)は、皇居二重橋の設計者として知られる土木技術者・実業家。
衆院議員としても計4回、当選を果たしています。その久米氏が暮らした渋谷区代々木上原の邸宅が氏の生まれ故郷である沼田市で復原移築。
4月より「旧久米家住宅洋館」として一般公開されています。

旧久米家住宅洋館
古写真から復原された内部意匠・椅子・照明器具

その解体調査・設計監理を担当したのが、群馬県前橋市に事務所(景観建築研究機構・アルキーフ/長井淳一建築アトリエ)を構える建築家の長井淳一氏です。計画発表までの経緯を尋ねたところ、「もともと久米邸は2020年8月をめどに建物の解体が決定していました」。しかし解体決定後、近隣住民、専門家らから保存を望む声があがり、地元で活動が起こります。

「活動に参加していた近代住宅史を専門としている先生から、私に声がかかったんです。以前、渋谷区内にあった『旧土岐家住宅洋館』を沼田市内で再移築した際にお世話になった方で、久米邸も沼田に所縁のある建物らしいので、見てもらえないかと相談がありました。沼田市の意見箱への投書もあったようです」
現地に出向いた長井氏は、「歴史的建造物としての価値の高さを実感しました」と言います。

長井氏らは「移築復原はもちろんですが、建物の歴史を調査、記録して残すのもとても大切なこと」と調査をスタートしました。
調査のなかで、建築を手がけたのは、迎賓館赤坂離宮などを建てた明治期の建築家・片山東熊(とうくま)氏または、その部下で皇室関係の建築や小樽市公会堂を手掛けた木子幸三郎氏ではないかと推定されました。また内外装の意匠は、19世紀末にヨーロッパで発祥した、幾何学模様などを特徴とする新芸術運動のセセッション(ウイーン分離派)様式が用いられていることがわかりました。

古写真を元に復元されたブランケット
古写真を基に復原されたブラケット
写真 / 「 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 」より
写真 / 「東京都立中央図書館特別文庫室所蔵」より

さらに、建築年は明治末期から大正初期であり、コンクリート(RC)造住宅の国内初期の事例であることが明らかになります。
「屋根は木造ですが、基本的にはコンクリート住宅でした。木造住宅だと思っていたので、少し意外でした。RC部分は解体して移築することはできません。持っていけないものは写真と野帳で記録し、屋根や庇(ひさし)、床、建具など木造部分を解体して(沼田市へ)持っていきました。また、解体の作業のなかで住宅は何度か増改築が行われていることがわかりました。内部に関してはオリジナルのものはあまり残されていない中、天井裏に金唐革紙が見つかりました。これはその後の調査で当初のものとわかり復原を行っています。また古写真が数枚、現存しており、内部意匠やシャンデリア、家具等の復原に役立ちました」

解体しながら当時の痕跡を探す作業のなかで、建築当初のものと思われるタイルが見つかります。
「外観のタイルには緑がかったスクラッチ風のものが貼られていましたが、屋根上の目立たない場所にごくわずかに白いタイルが残っていました。
そこで、LIXILへ分析をお願いすることにしました」

東京駅の赤煉瓦でも採用された「覆輪目地」を再現

久米邸

長井氏の依頼のもと、LIXILでは、コンクリート片が付いた状態で外壁タイルを分析。形状や成分から建築当初のものと判断します。
「建築当時のものが残っていない場合、タイルは古写真などを手がかりに想像で作っていくことになります。しかし、今回、わずかではありますが、建築当時のものが残っていました。当時の成分どおりに再現することはできませんが、色彩と形状、質感に関しては、可能な限り往時のものを再現したいと考えました。一方で、裏足(タイルの裏面の凹凸)の復原は難しく、現在のスタイルを採用しています。また、残っていたタイルは汚れなどで、黒ずんでいたのですが、調査の結果本来は白いタイルだったことがわかりました」そのため、「旧久米家住宅洋館」の外観のタイルは建築当時の白い状態で復原しています。

現場から提供された久米邸 白色タイル片
現場で発見された白色タイル
現場で発見された白色タイル(長井淳一氏 提供)

今回、実際にタイル復原を手がけた、LIXILやきもの工房の担当者にも話を聞きました。
「久米邸においては、幸いにも創建時のものと思われる無釉擬石調タイル片が現存していたことから、いくつかの仮説をたて、過去の類例と比較することで、
創建時の色合いだけでなく、製造方法等も読み解くことが可能となりました。
タイル形状は、明治時代に西洋から学ぶ建築材料として普及した煉瓦の小口面の大きさ(108×60mm)であり、小口平形状でした。タイルの面状は花崗岩を模した擬石調で、これは、明治末から大正にかけての建築にたびたび用いられている意匠です。また、過程において、一部のタイルに表面洗浄を実施したのですが、表面の汚れは素地内部にまで浸透しており、薬品では除去できませんでした。しかし、タイル裏面のコンクリートや張付けモルタルを塩酸にて除去したところ、タイル裏面から創建時のタイルの色に辿り着くことができたのです」

表面タイル
(表面) 汚れは洗浄できなかった。

裏面タイル
(裏面)モルタル除去後の裏面の様子。

調査を重ね、久米邸に使われているタイルは明治時代後半から大正時代にかけて使われていたもので間違いないということもわかります。
成分分析から素地原料に、Fe(鉄)分の少ない良質な粘土と長石からなる調合を使用していることも明確となりました。

「鉱物組成としてアルミナが検出されました。アルミナは粘土や長石から生成されることはなく、アルミナを含む石が原料調合で意図的に用いられていると考えられます。現在、アルミナは、窯業原料として工業的に生成されますが、大正時代は天然鉱物から得ており、このタイルの特長でもある、より白い焼き物を作るために白色であるアルミナ成分を多く含む原料を用いたと推測します。そのアルミナ成分による際立った白さを作り上げるために、調査から約2年の月日をかけ、試作、本生産へと繋げていきました」
と担当者が話すように、タイルは白く復原されています。白いタイルにエイジングを施すこともできますが、今回は行っていません。

その理由を長井氏はこう語ります。「久米氏がこの住居に住んでいたのは大正11年までであり、その間に変色することは考えづらい。復原にあたっては久米氏が住んでいた頃に戻すのが望ましいと考えました」

久米邸
覆輪目地の様子:蛙又と呼ばれる目地の交差部の仕上げが重要なポイントとなる。

そう話す長井氏に、タイルという素材に抱いている印象について聞いたところ、「タイルは表情にバリエーションがあり、建築を豊かにしてくれます。そこが好きだし、同時に僕がタイルに期待している部分でもあります。」という答えが返ってきました。

また、久米邸には、覆輪目地の手法が用いられていました。覆輪目地とは、「かまぼこ型の断面を持つ目地仕上げ技法のことを言います。この手法は、煉瓦造の建築でもみられ、明治44年竣工の三井物産横浜支店タイルや大正3年竣工の東京駅でも採用されています」

三井物産横浜支店
三井物産横浜支店(神奈川:竣工 明治44年)目地も覆輪目地となっている。
萬翠荘
萬翠荘(愛媛:竣工 大正11年)

そもそも目地とは、タイルやレンガなどの部材の隙間の継ぎ目の部分のことを言います。覆輪目地は、その断面が半円形で、中央部を盛り上げることにより目地を強調する手法で、当時、流行していましたが、現在の建築には用いられていません。
「この機会に、伝統的な技術を地元に継承していくことの意義を考え、覆輪目地を何とか再現すべく、施工会社に相談したところ、地元のタイル工事業者から、ぜひ挑戦したいといっていただき、覆輪目地を採用しています。年配の職人さんに伺ったお話を施工会社とも共有し、最もきれいに仕上がる方法を試行錯誤しました。」と長井氏。
タイル製造においても「創建時の覆輪目地が引き立つピン角形状を丁寧に再現したいと考え、当時と同じ製法となるプレス成型でピン角仕上げを実現可能な製造工場をLIXIL・ダイナワンメンバーと選定しました」と振り返ります。

旧久米家住宅洋館
昔ながらのシャープなエッジが際立つ小口タイル

同時期の建物を“比較する”という楽しみ方

こうして、新たな命を吹き込まれた「旧久米家住宅洋館」が、この4月より一般公開されています。
「旧久米家住宅洋館」が移築されたのは沼田市役所からほど近い上之町。同市は、このエリアを中心に歴史的建造物を集約し保存整備する「大正ロマンのまちづくり」を推進しており、これまでも県指定重要文化財「旧沼田貯蓄銀行」、国登録有形文化財の「旧土岐家住宅洋館」「旧日本基督教団沼田教会紀念会堂」などを移築しており、今回、新たに「旧久米家住宅洋館」が加わりました。

最後に、改めて長井氏に、「旧久米家住宅洋館」の見どころを尋ねてみると──。
「小屋裏や床下の構造物が見られるようにガラス張りにしています。また、これは今後の課題にもなるのですが、どれが古いもので、どれが新しく作ったものかということが明確にわかるような展示を行っていきたいですね」

床の基礎部を覗き見ることができる
床の基礎部を覗き見ることができる
小屋裏の構造をみることができる
小屋裏の構造をみることができる

ひとくちに「復原」といってもそこにはさまざまなドラマが内包しています。建築当時のものがどの程度残されているか、また使用できる予算によってもできることに限りはあります。長井氏は、復原を行う際には、「何を優先するかをはっきりさせること、そして、わからないものはわからないときちんと認めること」が大切だと力を込めます。

「久米邸は当初の配置とは方角が異なるかたちでの移築となっています。本来は変わらない方法での移築が望ましいですが、移築先の土地の問題もあるのでこれは仕方のないことです」
また、久米邸の移築復原では、RC部分は新たに作り直していますが、小屋組、庇、窓、パーゴラ柱、石材など可能な限り当初の部材を再使用し、残された写真をもとに建築当時の姿に戻す「再現」を行っています。

旧久米家住宅洋館
庇や笠木等には、セセッション様式の装飾がみられる。
庇上部のゴツゴツした壁がドイツ壁。

「沼田市の大正ロマンエリアには、大正期の建物が集まっています。建築期の年代の幅は十数年しかないのに、スタイルはまったく違います。例えば、土岐邸と久米邸とでは窓の開け方が違います。同じ上げ下げ窓でもメカニズムが違うのです。屋根も異なりますし、外壁の扱いも違います。例えば、外壁は久米邸も土岐邸も同じドイツ壁ですが、前者はセセッション、後者はユーゲント・シュティールと異なる様式表現となっています。一度に回ることができるので、ぜひ比較してみてください」

同時期に建てられた建物を見比べるのは確かに楽しそうです。大正ロマン漂うなか、調査をもとに復原した大正初期のタイルを見に、沼田市に足を運んでみてはいかがでしょうか。移築復原について改めて考える、貴重な機会にもなるはずです。


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